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2020年5月8日金曜日

forced conformity

昨日の投稿でも書きましたが、そもそもあまりマスク着用の文化(というほどのものではないかもしれませんが)が無かった欧米においても、マスク着用が普通になってきているという現状があります。

都市や地域によっては着用が義務として課されているところもあるようですが、多くは着用の「推奨」でしょう。(「推奨」であっても、例えば病院内では「義務」ということもありますが。)

この「推奨」というのはある意味厄介な概念で、「義務」ではないので従わなくても良いのですが、何となく従うのが常識、みたいな感じになっている場合が往々にしてあります。暗黙の了解という感じでしょうか。

最近は、「同調圧力」というような言葉も聞こえてくるようになりました。

そんな中、CNNの記事を読んでいたら、"forced conformity"という表現に目が留まったという訳です。


Most Americans have never had to wear a mask for their health before, let alone while they shop for groceries or go for a run.

So, even as businesses or states increasingly require them, rebellion is natural -- to a degree, says Dr. David Aronoff, director of Vanderbilt University Medical Center's Division of Infectious Diseases and professor of medicine.

But he urges Americans to think of the mask guidance not as forced conformity, but as a necessary act of solidarity: Wearing a cloth mask could stop seemingly healthy people from infecting others with coronavirus if they're asymptomatic.
(Scottie Andrew. The psychology behind why some people won't wear masks. CNN. May 6, 2020.)


実のところ、"conformity"の定義として、


Action or behavior in correspondence with socially accepted standards, conventions, rules, or laws
(American Heritage Dictionary)


というものがあるので、"conformity"だけで十分なようなものですが、敢えて"forced"と形容しているところに、新型コロナウィルス感染症が猛威を振るっている現状下での生き辛さが投影されてはいないでしょうか。

マスクを着用しない自由もある!などというと、批判されそうです。


1 件のコメント:

  1. 蘭です。
    そうですね。マスクを着用しない自由が人の権利ですね。これは服を着るのも着ないのも個人の自由と同じです。でも、服を着ないまま外(公的場所)に出たら、他人の迷惑になるので、禁止されました。また、タバコもそうなんでしょう。最初はタバコの危害をしていないから、法律によって禁止されていないが、他の人のために禁煙を提唱していました。同様に、マスクは感染拡大の防止のためのものなんですから、他人への思いやり、または同調圧力だというよりも、コミュニティの一員としての責任だと思います。自分らしさのアピールはあくまで他人の迷惑にならないというのがボトムラインでしょう。

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