以前、まだパンデミックになる前のことですが、通勤の効用ということについて考えたことがあります。
小生は往復で3時間弱かかっていたのですが、勤務先で初めてテレワーク制度が導入された頃のことで、10年以上前のことです。
最寄り駅からオフィスにも徒歩15分かかるような不便さでした。
パンデミック下で多くの人がリモートワークを余儀無くされてきたところ、通勤の効用といった側面を研究したという記事を興味深く読みました。
Many people think of commuting as a chore and a waste of time. However, during the remote work surge resulting from the COVID-19 pandemic, several journalists curiously noted that people were – could it be? – missing their commutes. One woman told The Washington Post that even though she was working from home, she regularly sat in her car in the driveway at the end of the workday in an attempt to carve out some personal time and mark the transition from work to nonwork roles.
As management scholars who study the interface between peoples’ work and personal lives, we sought to understand what it was that people missed when their commutes suddenly disappeared.
In our recently published conceptual study, we argue that commutes are a source of “liminal space” – a time free of both home and work roles that provides an opportunity to recover from work and mentally switch gears to home.
(中略)
Our findings suggest that remote workers may benefit from creating their own form of commute to provide liminal space for recovery and transition – such as a 15-minute walk to mark the beginning and end of the workday.
(A journey from work to home is about more than just getting there – the psychological benefits of commuting that remote work doesn't provide. The Conversation. February 2, 2023.)
キーワードは、
liminal space
です。
"liminal"を辞書で引くと、
識閾の;かろうじて認識できる
(研究社新英和大辞典)
とありますが、これは心理学の専門用語で、記事のコンテクストに当てはめて考えようとすると少し分かりにくいですね。
「識閾の」という言葉自体、日常であまり使うことの無いものですが、人間の感覚が認知できるかできないかくらいの微妙なレベルの刺激というような意味合いと理解しています。
サブリミナル(subliminal)効果という言葉がありますが、人間の意識に訴えかけるかどうかといった低いレベルでの感覚刺激がもたらす効果のことで、映像などに紛れ込ませた特定の商品やサービスのイメージがマーケティングに使われるという話を読んだことがあります。
そもそもの"liminal"の意味はそのようなところにあり、"limen"(敷居 = thresholdを意味するラテン語limen)という単語の形容詞形ですが、意味合いが拡張されて、状況、状態が変化途中にあること、つまり遷移状態のことを意味するようになったとされています。
通勤の効用としての"liminal space"は、ワーク(勤務)からプライベート時間への遷移過程にあたるということで、仕事をしているのでもない、また完全にプライベートな環境にあるのでもない、いずれでもないという状態にあたるということです。
かつて小生が最寄り駅からオフィスまでの徒歩15分に感じたのは、朝の通勤時はこれから仕事に向かうのだというウォームアップのような位置付けであり、夕方の帰宅時は務めから解放されホッとしつつ家路(あるいは寄り道先)へ向かうクールダウンの位置付けだったように思います。
リモートワーク、テレワークにおいてはこうした"liminal space"が得られないということであり、こうした時間、また過程が働く人間には必要とされているということでしょうか。
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