日本語におけるカタカナ表記は外来語を表すことが多いと書くと、何を今さらという言われそうです。カタカナ表記による外来語が多いということについては、イニシアチブとかアセスメントとか、特に政府やお役所が使う文書などでの使用例に対して批判も多いことはご存知の通りです。
ちょっと視点が変わりますが、このようなカタカナ語の表現・意味が日本語においてあまりにも定着しているが故に、当該の英語に戻った時に違和感を感じたり、あれっと思うようなことがまれにあります。
例えば今日取り上げる、"graphic"(グラフィック)はどうでしょうか?
グラフと言えば棒グラフや円グラフなどのチャートをすぐに思い浮かべます。”グラフィック”と聞けば、コンピュータで描画した絵のことをまず思い浮かべる方がほとんどではないでしょうか?
その前提で、下記のロイターの記事を読むと、一瞬かすかな違和感を感じます。
(Reuters) - The first witness called in the Jerry Sandusky child sex abuse trial testified on Monday that the former Penn State assistant football coach treated him like "his girlfriend" when he was a young teenager, showering together and engaging in oral sex.
The graphic testimony by the 28-year-old man - one of eight alleged victims of Sandusky due to be prosecution witnesses - came after jurors heard opening statements from prosecutors and the defense as the closely watched trial got under way.
The prosecution branded the 68-year-old Sandusky a "predatory pedophile" and said his young victims remained silent only out of fear and shame. Defense lawyer Joe Amendola told the seven women and five men of the jury that Sandusky was a naive man filled with love and affection for young people.
(Ian Simpson. Witness accuses Sandusky of sex abuse as trial opens. Reuters. June 11, 2012.)
"graphic testimony"が意味するところは少し考えれば想像がつきますが、”生々しい”証言という日本語から、適切な形容詞として"graphic"をすぐに想起出来る人はなかなかいないのではないでしょうか。
”生々しい”という形容表現でまず思い浮かべる英語といえば、"vivid"ではないかと思いますが、この点でも、"graphic"を思い浮かべる人は少ないように思います。
コーパスで調べてみると、"testimony"に対する形容詞として、
"graphic" が、19件
"vivid" が、9件
ということで、"graphic"の方が多いのです。
私にとってはへぇ~という感じで発見だったのですが、英語の熟達者にしてみれば当たり前?でしょうか。”グラフィック”というカタカナ語がすっかり浸透した我々には、"graphic"=”生々しい”とはすぐに結びつかないように思うのです。
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