昨日の投稿で、中国競泳選手のドーピング疑惑に苦言を呈した米競泳界レジェンド、マイケル・フェルプス氏の発言を取り上げました。
その中で、もうひとつ目に留まった英語表現があります。
再度、引用します。
“If you test positive, you should never be allowed to come back and compete again, cut and dry,” Phelps said. “I believe one and done.”
(Tom Cary. China hit back over doping complaints as Michael Phelps calls for life bans.The Telegraph. August 6, 2024.)
その表現というのは、
cut and dry
という部分なのですが、辞書を引くと、"cut and dried"として載せており、その意味は、
(物事が)あらかじめ用意(お膳立て)された;新鮮味のない、型にはまった、月並みな
(研究社新英和大辞典)
とあります。
この訳はどうも記事のコンテクストに当てはまらないように感じたのがきっかけで、色々調べてみることになりました。
他の辞書、例えばMerriam-Webster Dictionaryでは、
being or done according to a plan, set procedure, or formula : ROUTINE
とあり、また、American Heritage Dictionaryも、
1. Prepared and arranged in advance; settled.
2. Ordinary; routine: cut-and-dried dialogue.
と定義しており、大体同じような内容と思われますが、"a plan"、"set procedure"、"formula"、といったワード、また同義語として"routine"を挙げているのが理解の助けになります。
フェルプス氏はドーピングは1回でも手を染めたら競技から追放、と主張しているので、発言中の"cut and dry"とは、そうした決め事、ルール、手順に基づいて、「有無を言わせず」、というような意味合いかと思われました。
ところで、この"cut and dried"というフレーズはどういう由来なのでしょうか?
諸説あるようですが、木を伐採(cut)して材木として乾燥させる(dry)という、一定の手順により生産された規格品、というところから生まれた表現という説明があります。
ここから、あらかじめ用意された、という意味になるのは想像のつくところです。また、さらに発展して、型にはまった、月並みな、というような意味になるのもうなずけます。
コーパスを検索してみますと、"cut and dry"、"cut and dried"共に多数の用例があります。
いくつか拾ってみました。
Science has yet to determine the underlying mechanism of gravity. So "science" is not all so cut and dried as you infer in this article.
(Huffington Post, 2012)
— What happened in court?
— Well, it was a cut and dried thing, 30 seconds in the courtroom. Basically, Casey Anthony, along with Jose Baez, her attorney, appeared before a judge. All of a sudden, they -- the judge asked her, Are you Casey Anthony? She replied, Yes. He read the charges against her.
(CNN, 2008)
You know, you do have to ask that question, Chris. Why can't you, if something is so seemingly cut and dry as like -- as you'd like to say it is, why can't -- why can't the system work the way it was supposed to be, you know, the way it was supposed to be working, or the way it was designed?
(CNN, 2016)
There are no cut-and-dried, right-and-wrong answers in strategic foresight, and it is not always clear if the organization is on the right path as the activity proceeds.
(Futurist, 2006)
こうして実用例に触れるとこのフレーズのニュアンスが段々と腑に落ちてくるのではないでしょうか。
用例をざっと斜め読みして思ったのは、この"cut and dried"という表現は、どちらかというと否定文や反語的なコンテクストで用いられることが多く、対象や事象の区別が明確、クリアではない、日本語で言う「白黒つけられない」、といった意味合いで用いられるということです。(この意味合いは、"clear cut"という表現の影響を受けて後から生じたものという説明も見えます。)
英和辞書の定義に見られる、あらかじめお膳立てされた、型にはまった、新鮮味のない、月並みな、というような意味合いも確かにあるようですが("routine"と同義とする辞書の定義、また上記、コーパスで拾った2番目の用例)、あまり多くは見かけませんでした。この意味で用いられる場合には話者の軽蔑的な主観によるところがあるので、字面だけでは判断できないものがあります。
ということで、このフレーズの意味するところはコンテクストに左右され、"cut and dried"ではなさそうだ、というのが結論です。